一般社団法人 AIM医学研究所 The Institute for AIM Medicine

コラム

クレージー侍の道場破り

2022.12.28

所長・宮崎は、自治医科大学消化器内科で消化器内科の専門トレーニングを受けるために、1988年度の1年間シニアレジデントとして同内科に在籍していました。今回、同門会誌より依頼を受け、近況報告を兼ねて「クレージー侍の道場破り」というタイトルでエッセイを寄稿しましたので、ここに転載致します。

一般社団法人AIM医学研究所 (IAM)
代表理事・所長 宮崎徹

 昨日の深夜、数年来取り組んできた研究の結果をまとめた論文をやっと投稿した。自分で言うのもなんだが大作である。これほど力を入れて書いた論文は、ここしばらくなかった。最終版はバージョン237、つまり236回書き直した(それでも本当には満足できていなかった・・)。内容は、末期腎不全のヒト患者とネコ両方におけるAIMの効果に関するものだ。今後のAIMの動物薬・人薬の治験にもつながる、とても重要な論文であるのと同時に、多くの腎臓病患者やネコのオーナーに希望を与えることができる内容であると自負している。祈るような気持ちで投稿したが、今後すんなりレビュー(査読)されてアクセプトされるとは思っていない。おそらくはボコボコにされて、市中引き回しの上打ち首、すなわちリジェクトの憂き目に、何回か晒されるだろう。これは今回の論文に限ったことではなく、AIMの研究を始めて以来、論文を投稿する度、ほぼ毎回そうだ。もちろん、研究内容が不十分、あるいは論文の書き方が悪いという要素もあるのかもしれない。しかし、恐らく最大の要因は、私が特定の分野の専門家ではないことにあるのは間違いないだろう。昨年は脳梗塞の論文を、この夏には腎臓結石の論文を発表した。そして今回は尿毒症だ。それ以前には、脂肪肝や肝臓癌の論文も世に出している。正気の沙汰ではない。

 学問の世界には、細分化された専門分野による、学会というコミュニティーが存在している。研究者は(そして臨床医も)基本的に皆いずれかの分野の専門家であり、関連の学会に属している。例えて言えば、それぞれの専門分野にはそれぞれの道場があって、武士(=研究者)たちはその道場内で打ち合いをしているわけだ。当然、道場内ではみな知り合いであり、長くそこにいる武士は、道場におけるそれなりのポジションにつける。また、それぞれの道場にはそれぞれの「瓦版」(=専門誌)があり、そこで意見交換をするので、基本的に原稿を門前払いされるようなこともない。たとえば免疫学という道場には、相当上等な瓦版があり、私もAIM発見以前はその道場に属していたので、そこの瓦版には安々と論文を載せることができていた。しかし専門を持たない、あるいは持つことを拒否した今の私は、各道場の武士たちの目には、明らかに常軌を逸した孤独な侍が、頼もう頼もう、と門をドンドン叩いているように映るだろう。しかもこのクレージーな侍は、運良くある道場が試合をさせてくれ、そこで勝利しても、その道場に居つくことはなく、すぐ他の道場の門を叩いているのだ。それではたやすく門を開いてくれないのも当然だ。すなわち、今の自分の苦労は全く自業自得であって、これまでもたくさんの知人・友人からどこかの道場に入ること(=何かの専門に特化すること)を散々奨められたが、そうしなかった自分のせいである。

 そんな苦難しかないクレージー侍であり続けるのは、実は昔大変お世話になった、故・木村健教授の一言に拠っている。あれは確か、自治医大消化器内科でのシニアレジデントを終え、熊本大学の山村研一教授(当時)のところに弟子入りし研究者としての第一歩を踏み出す際だったと記憶しているが、木村先生から紀尾井町のホテルでランチに招待していただいた。そこで先生は、「臨床医はもちろんのこと研究者も、医学という領域にいる限り、なぜ自分がここにいるのかを決して忘れてはならない。なぜ、ここにいるのか?簡単なことだよ、患者さんがそこにいるからだ。医学者は業績が注目されるし、研究費が集まりやすい。だからちょっと成功すると、ついつい偉くなった気になって、患者さんのために、という本分を忘れ、研究や診療を怠り、大学や学会などの組織でのポジションや政治にばかり色気を出してしまう。君は決してそうなってはいけないよ」と言われた。私はまだ若く、組織でのポジション云々についてはピンとこなかったが、患者さんがそこにいるから我々はここ(医学という領域)にいるのだ、という先生の言葉は深く胸に刺さった。思えば私が、大好きだった臨床を離れ、研究者の道を志したのも、病棟で医者が治せないあまりにもたくさんの病気を目の当たりにしたからだった。そして、自分の大切な人たちが、根治療法のない疾患で亡くなっていくのを、医者でありながら指を咥えて見ているしかない自分が、あまりにも不甲斐なかったからだった。基礎から病気を研究して、何とかそうした患者を救いたかった。

 その後私は、免疫学の領域で研究を続けて、業績を上げ、スイスのバーゼル免疫学研究所で研究をするに至り、その分野では専門家として一定の評価と認知度を得ることができた。しかしその時、では免疫の難病、例えば自己免疫疾患を治すことができるようになったかと言えば、答えは否で、免疫の病気ですら免疫学だけでは治すことはできないという現実に衝撃を受けた。そして、木村先生の言葉を思い出し、すでにかなり居心地のよくなっていた免疫学という道場を抜け、治療法のない病気に苦しむ患者さんを救うために、アメリカと東京でひたすら孤独な戦いを続けた。その際、腰にはバーゼル研で偶然発見したAIMという刀を差していた。切れる刀であるとの保証もないのに、これだけが頼りで、どんなに困っても決して手放さなかった。このAIMがたくさんの患者さんを救える可能性がある、本物の名刀だという確信を得るのに、それから10年以上かかった。

 ―私たち医学者はなぜここにいるのか?患者さんがそこにいるからだ― 私は特に最近、この木村先生の言葉を思い出す。医学者である以上、脳梗塞も肝臓癌も尿毒症も全部救わなくてはならない。いや人も猫も同じ患者だ。だから猫も救う。そしてもう薬を作るという、登山で言えばやっと頂上が見えてきたこの段階では、アカデミアや大学という道場すら邪魔になった。だから今年、創薬を思い切り自由に、最大限のスピードで完成させるために、自分の研究所を作って独立した。

 私はあまり過去のことを思い出すことはないのだが、自治医大の消化器内科での一年間のことは本当に良く覚えている。大学を卒業して以来数十年間の中で、あれほど楽しく充実していた時間は他にない。木村先生には本当に良くして頂いた。また、故・大岡先生をはじめ、全ての先生方が尊敬できる、素晴らしい医学者だった。あのような環境は、その後、長い外国生活の中でも、日本に帰ってきてからも、ついに再び経験することはなかった。まさに、患者さんのために、という木村先生の信念で形作られたものであったのだろう。そうしてみると、一年間とは言え、自治医大消化器内科で教えを受けた者としては、どうしてもAIMを薬として完成させなくてはならない。それまではまだ当分、クレージー侍の道場破りは続きそうだ。でもまあ、いいですよね?木村先生。

(注)AIM:筆者が発見し1999年に発表した血中たんぱく質(J. Exp. Med. 189, 413-422, 1999)。CD5Lとも呼ばれる。最近、細胞の死骸やDAMPsなど、その蓄積が疾患の原因となる「ゴミ」を貪食除去させることにより、様々な疾患の治癒を促進することを明らかにした。また、ネコは先天的にAIMの機能不全であり、そのためにほぼ全員が腎臓病に罹患し腎不全で死亡することが分かり、ヒトだけではなくネコに対する創薬も進めている。

自治医科大学消化器内科学教室 同門会誌第19号(2022年度)より転載